1. TOP
  2. > 地域とともに歩む東起業

地域とともに歩む東起業

地域とともに歩む東起業

東起業のダンプが列をなして人工島へ

東起業のダンプが列をなして人工島へ

 1949年(昭和24年)に創業。東起業は、当初は中央区明石町に本社を置き、その後、中央区越前堀から江東区南砂町へ。1967年(昭和42年)に江東区木場に移り、土木事業を主体として建設業で発展してきました。
 江東区の埋立では、1963年(昭和38年)から長期にわたり、13号地(青海)、14号地(夢の島)、15号地(新夢の島=若洲公園)に続き、中央防波堤および新海面処分場と人工島の埋立工事に携わりました。当時ダンプを150台所有する会社は当社のみで、ゼネコンのすべての会社と取り引きし、都内および関東の土工事の掘削から残土処理までを施工していました。永代通りに立っていると、東起業のダンプが次から次へと頻繁に列をなして人工島に残土を運んでいたものです。
 有明の埋立では、当社が銀座で掘削した残土から小判が出てきて大騒ぎになりました。新聞報道され、大勢の人が小判を見つけに詰めかけたこともありました。今ではその一帯は、陸上競技場、スポーツ文化館、夢の島熱帯植物園、マリーナなどを擁する夢の島公園となり、たいへん賑わっており、隔世の感があります。また、桜並木の名所となっている大横川、平久川、仙台堀川などの護岸補強、護岸嵩上げなどの工事を施工しました。工事にあたっては材木屋さんの筏の通路であり、木材の引き上げの場として河川を利用されていたため、安全に気を使いました。

後世に残す仕事を通して地域に貢献する

後世に残す仕事を通して地域に貢献する

 1962年(昭和37年)、天皇皇后両陛下のご成婚記念として建設された、横浜のこどもの国敷地造成工事を受注しました。さらに皇居外苑芝張工事も施工し、技術施工力も高い評価を受けました。
 当初は永代通りに都電が走っていて、木場の5丁目交差点を見通しても高いビルらしきものは当社の3階建てのほか、2、3軒程度しかありませんでした。当社の周辺も、昔からの商売をしていた商店・食堂はすっかり代替わりをして、大型店舗、外食産業、多国籍な食堂などに代わってきました。木場周辺においても、マンションが急激に増え、朝夕の地下鉄の乗客が格段に多くなってきています。
 そして、2020年の開催が決まった東京オリンピック・パラリンピック。かつて当社が埋立に携わった東京ベイエリア一帯が競技会場として予定されています。今後は、地元建設会社として、震災に強く、また昔の風情を残した、この地域の発展に微力ながら貢献していくことこそが東起業の使命だと思っています。

PAGE TOP